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弱者の兵法 立ち読み版
野村克也
価格 :
無料
※この書籍は、アスペクトより販売されている『弱者の兵法(文庫)』の立ち読み版です。
弱者の集団を率い勝利する秘密はここにあった!! 野球界きっての名将と言えば、野村克也氏をおいてほかにいないでしょう。日本一に導いたヤクルトスワローズをはじめ、阪神、アマチュア野球社会人シダックス、そして東北楽天と、低迷する球団を強豪チームに育て上げる、その手腕には誰しも敬服せざるを得ないはずです。
「人間的成長なくして技術的進歩なし」「人間の最大の罪は鈍感である」……。名伯楽の野村監督が、人間教育や組織作りの真髄からWBC優勝の分析まで語り尽くしました。そこにはビジネスひいては人生に役立つ知慮や極意が満ちています。
目次
序章:日本の野球はベースボールを超えた
・日本の野球は世界一である
・メジャーの力は落ちている
・配球などの細かさでは日本のほうが進んでいた
・野球の原点を思い出させたイチロー
・日本流の練習を取り入れはじめたメジャーリーグ
・弱者の兵法
・WBCが与えた衝撃
・北京五輪の日本と韓国
・日本惨敗の理由
・データの無視
・「日本力」を見せたWBC日本代表
・打者分析・観察・洞察を欠いた城島のリード
・弱者であっても勝者にはなれる
第一章:プロフェッショナルとは何か?
・「おもしろい」「勝つだけ」が野球ではない
・仕事に全身全霊を捧げるのが真のプロフェッショナルである
・ロッテの選手を見ると嫌になる
・イチローはプロではない?
・ケガで休むのはプロとしての自覚のなさの現われ
・都合よくメジャー流を貫くエースたち
・名誉より金
・細く長く−選手のサラリーマン化−
・江夏の心に突き刺さった口説き文句
第二章:全知全能を懸けてこそ弱者は強者になる
・野球選手を草食系?
・バッティングピッチャーで制球力を身につけた稲尾
・満足は成長への最大の敵
・わが家の近所に越して来てまで野球に取り組んだ柏原
・力対力の真っ向勝負という幻想
・たがいが全知全能をぶつけ合った稲尾との対決
・名勝負は一流同士の戦いから生まれる
・恵まれすぎの日本
・社会人のほうが厳しい
第三章:指導者の役割とは何か?
・組織が成長するか否かはリーダーの器次第
・本当に優秀な監督のい条件とは何か?
・優勝回数が必須条件とは限らない
・「この監督についていきたい」と思わせる人望
・監督の度量が選手を成長させる。
・風格は選手に「やらなければならない」気持ちにさせる
・短くなった在任期間が風格を失わせた
・私に自信を与えてくれた鶴岡監督の言葉
・持っているノウハウを伝えるのも言葉
・判断は頭で、決断は腹で
・技術的限界を知らない監督に理論はない
・信頼は日々の選手との戦いから築かれる
・克己心なき人間に勝利なし
・「能力」を問われなかったWBC監督選考
・監督選びの失敗が巨人の衰退を招いた
・まぶしすぎる光は人を誤った方向に導く
・人脈と順番を優先するなら明確な意思を持つべし
・人を遺すことが指導者の最大の条件
第四章:「無形の力」が弱者を勝利に導く
・優勝するべくしてするチームと優勝するにふさわしいチーム
・相手をいやがらせる適材適所
・弱者を強者に帰る無形の力
・無形の力としてのささやき戦術
・無形の力は選手に優位感を与える
・スコアラーには「表現力」を、選手には「準備」を
・「欲から入って欲から離れる」ことの重要性
・中心なき組織は機能しない
・現場とフロントの一体感
・未来創造力が優勝するにふさわしいチームをつくる
第五章:人間教育が真に強い組織の礎を成す
・川上監督と西本監督の差
・人間的成長なくして技術的成長なし
・進むときは上を向き、暮らすときは下を向く
・野次はチームの品格を表す
・大道廃れ仁義あり
・人は無視・賞賛・非難の段階で試される
・結果論で叱らず、気づかせる
・感じる力を持った選手は必ず伸びる
・教えないコーチが名コーチ
・目標を明確にさせ、みずから取り組む意欲を持たせる
・プロセスを重視して実践指導
・固定概念と先入観を排して適性を見抜き、適所を与える
・足りないものに気づかせれば再生は難しくない
・やさしくするだけが愛情ではない
・人間学なき指導者はリーダーの資格なし
あとがき 真のワールドシリーズ実現に向けて
文庫あとがき
【著者プロフィール】
野村 克也
1935年、京都府生まれ。54年、京都府立峰山高校卒業。南海(現福岡ソフトバンク)ホークスへテスト生として入団。57年に本塁打王、65年に史上2人目、戦後初の三冠王となる。MVP5度、首位打者1度、本塁打王9度、打点王7度。ベストナイン19回、ゴールデングラブ賞1回。70年、南海の選手兼監督に就任、73年にパ・リーグ優勝を果たす。その後、ロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレー、80年に45歳で現役引退する。通算成績は2901安打、657本塁打、1988打点、打率.277。解説者を経て、90年、ヤクルトスワローズ監督に就任、4度優勝(うち日本一3度)する。99年から3年間、阪神タイガース監督。2002年からは社会人野球・シダックスのゼネラル・マネージャー兼監督を務める。03年都市対抗野球大会で準優勝。89年、野球殿堂入り。06年度、東北楽天ゴールデンイーグルス監督就任。09年度、退任、名誉監督に就任する。